2014年5月23日金曜日

通貨同盟を先行させる

交換レートを妥当なレベルに設定するならば、東独経済の再建にはプラス効果を発揮すると期待できる。だが、直面している人口流出と、それに付随する危機的状況には対処しえなくなってしまう。ドイツ政府と金融当局は、通貨同盟のスタートに当たって重大なディレンマに陥ることになった。

ドイツーマルクとオストーマルクの交換レートは、ヤミ市場では九〇年初め頃は「三対一〇」が中心的相場であったが、場合によれば「一対二〇」といったオストーマルクの超割安相場すらも出現した。政治的には当時のSPD(社会民主党)が独自の交換レート案、三対七」を表明していた。東独政府怯父換レートは「一対四」が妥当であるとの見解を提示していた。西独の金融当局筋では「一対四」を上回る交換レートは東独通貨の過大評価を意味し、経済的には好ましくないインパクトを及ぼすとの見方を示していた。

通貨同盟を先行せざるをえなくなったなかで、交換レートの正式決定も急がざるをえなくなった。結局、交換レートは政治的観点から決定されたが、これも最初はコール首相の政治的思惑が強く絡んだ形で打ち出されたため、スムーズに決着したわけではなかった。九〇年三月に東独で自由選挙が実施されたが、ここでコール首相は与党のCDU・CSU(キリスト教民主社会同盟)系候補を有利化させる意味もあり、交換レートを「一対四に設定するとの意向を表明した。

この交換レートは、ヤミ市での「一対一〇」や、野党SPD案の「一対七」と比べ収ば経済の現実をないがしろにしたものであり、東独国民の歓迎を買うための政治的主張であっだのに明白であった。このため、経済運営を実践する上で物価安定にきわめて強い責任感を示すブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)は、コール首相案の「一対四」の交換レートに対し難色を示した。だが、再統一や通貨同盟の先行実施など、ことごとくが奔流のような内外政治情勢の急変を背景にしているだけに、経済の論理などが優先的に受け入れられる条件が、所詮は存在していなかった。

政治的要因を優先させて決着をみた経済的事情が、経済の実体を反映した基本的な論理と著しく合致しないものであれば、経済の論理が必ず自己貫徹し、やがては重大な経済的問題に悪化してくるとともに、それが政治的にも重大な問題として波及してくる。ドイツ再統一においては、経済の論理への配慮がほとんど払われなかった。このため、一段と深刻な政治問題を惹起させるのにさはどの時間的経過は必要ではなかった。