2014年4月17日木曜日

戦場での運の話

「文学界」の連載の最終回の稿を先日渡して、とにかく、間に合った、と思っている。十八年前に、私流の戦争長篇小説三部作と称するものの執筆を企画し、第二部までは五年間で書いたが、第三部がなかなか書けなくて、第二部のあと十三年目にやっと終えたという次第である。間に合った、というのは、書けないうちに死ぬかもしれぬと思っていたからである。

この第三部は「フーコン戦記」という題で、北ビルマで悲惨な戦いを続けた北九州の部隊の話を書いた小説で、一昨年から二十二年間にわたって連載した。私には、精励努力などという殊勝なものはなく、なにか、運のままに流されているうちに、なんとか食えるだけは食えるようになった。幸運である。戦場から生還できたのも幸である。といって、そういった幸運をいちいち感謝しながら生きているわけではないが、戦争を扱った小説を書き、自分の経験した戦場を思い出すにつけ、とても人間にはどうしようもない運というものを考えさせられる。

戦場での運の話をしだすときりがなくなるが、ひとつ、いまだにふと思い出す追憶がある。私か経験した戦場は、中国雲南省の龍陵というところで。私の所属する仙台の師団は、包囲されて苦戦している龍陵守備隊を救出すべく、南ビルマから馳せ参じた。そのおり、私はトレードに出された。ブロ野球なら、私は自由契約選手になったところだが、軍隊では、私がいかに劣等の下級兵士でもそれはない。だから分隊長同士話し合って、第二分隊の私にタバコを二つつけることで、第一分隊の一等兵とのトレードが成立したのである。

私は第二分隊の壕から追い出され、第一分隊の壕に移った。その夜、迫撃砲弾の破片が、第二分隊の壕に移った一等兵のカカトを砕いたのである。私か東北の師団に召集されたのも運、あの分隊長との出会いも運、劣等であったのも運、あの日トレードに出されたのも、私にとっても一等兵にとっても運。T君は、まだ健在だろうか。だとしても、足をひきずっているのではないか。