2014年11月11日火曜日

裁判における大企業優遇処置

逆に、元裁判官を顧問弁護士に迎える時の企業の気持ちを想像してみてください。「あのとき痛い目に遭わせてくれた裁判官だけれども採用してやろう」などという企業がこの世にあるでしょうか? 裁判官を辞めることになったとき予想されるこんな事態に、あの「賢い」人々が目をつぶって行動できるのでしょうか?

そうだとすると、政府、大企業などの強者から被害を受けた人は、一度現実に被害を受け、裁判でも敗訴して、二度にわたって被害を受けるということが繰り返されるわけです。こうして敗訴してしまう人たちは、その二重の怒りをどこに持っていけばいいのでしょうか。

日本の民事訴訟では、法律によって証拠集めが阻害されているような格好になっており、おまけに、その証拠の評価にまでバイアスがかかっている恐れかおるという話でしたが、それだけではありません。争いを解決する基準となるべき法律そのものまでが、事業者寄りにできているのです。

とりあえず、証拠が奇跡的に出てきたとしましょう。これがすんなりと通っても事実をなかなか認めてもらえないこと(これが裁判官の匙加減によることは先に述べました)と、そこから出てくる結論の乏しさはどうしようもありません(これがここから述べることです)。というのも、事業者は、法律的にはさして責任を負わなくても済むように、初めからできていることが多いのです。