2016年1月13日水曜日

新ユダヤ教たる共産主義は「権力闘争」に満ちている

マルクスの打ち立てた新ユダヤ教たる共産主義は「権力闘争」に満ちていて、秘密警察による監視と血の粛清の嵐で人民を恐怖に陥れ、「労働貴族」という支配階級を生み出したという点では連合戦争神と同型であったが、キリスト教の愛の精神のような、むき出しの権力闘争の弊害をカバーする心理社会的装置を持だなかった。ために、人民は疑心暗鬼が生むストレスによって疲弊し、その結果社会は活力を失い、ついには崩壊したのである。

共産主義は悪平等だから人々は働く意欲を失い、ために崩壊したとの説が一般的であるが、私はそれに加えてむき出しの「権力闘争」の持つマイナス面をコントロールできなかったことも共産主義崩壊の大きな原因だと考えている。

身近なところでは、フェミニズムもまた立派な権力闘争である。ファミリーの語源は「奴隷」という意味である。西欧の要塞文明では社会では男、家庭では父親の権力が絶対で、古代ローマ時代には父親は妻や子どもを奴隷として売り飛ばすことさえできたのである。この男性優位文明で男に対する権力闘争を挑んだのがフェミニズムなのである。

湾岸戦争ではアメリカは三万人の女性兵士がいたが、彼女たちはみな後方勤務であった。それを不服として女性たちは裁判を起こし、今日のアメリカ軍は戦争になればもっとも死傷率の高い海兵隊にも女性兵士がいる。

実際、二〇〇〇年十月にイエメンで起きたアメリカの駆逐艦に対するテロ攻撃では女性兵士が二名「戦死」している。今日ではイギリス軍もドイツ軍も前線で戦う女性兵士を認めている。

「権力闘争」の源泉は昔から軍事力、経済力、情報力と相場が決まっていた。だから、女性もまた経済力を握り、社会で高い地位についただけでは「権力闘争」に真に勝利したことにはならないのである。

女もまた軍事力を握り、いざ戦争となれば女も男に伍して戦う、ということにならなければ、原理的に男との権力闘争に勝利したことにはならないのである。

だから、女性兵士の後方勤務は「差別だ」ということになるわけで、このこと一つ取ってみても、フェミニズムが女による男に対する権力闘争だということがわかるであろう。

かつてのサッチャー女史を見れば、将来アメリカでも女性大統領が女性国防長官と戦争の指揮を取る、といった話も夢物語ではないのである。