2014年10月10日金曜日

行革選挙の結果

最終答申は、とくに地方分権について、「地域に関する行政は、基本的に地方自治体において立案、調整、実施するものとし、地域の実情に応じた個性豊かな行政が展開できるよう」にすべきだとして、「基礎的な自治体である市町村が、行財政能力を充実させ、住民生活やまちづくりに関する行政をはじめ地域社会に関する多様な行政を、自主的・自律的に担い得る行政主体として確立される」べきだと強調した。

従って、本来なら自民党もこのような順序で行革を行うことをあらかじめ宣言すべきだった。ところが、自民党の公約には、地方分権や規制緩和などスリムな政府をつくる前提条件にはさっぱり熱意がなく、省庁を半減する理由が見えてこない。さらに、重大なのは、どんな社会をつくるために省庁を再編成するのか、というもっとも基本的なところが不明確であった。これが最後まで尾を引くのだが、選挙のときにはそれがまだみえていなかった。

一九九六年十月二十日に行われた行革選挙の結果はどうだったか。与党連立政権の自民党は五百議席のうち二百三十九議席(前回二百二十三議席)を獲得し一応勝利した。しかし、社民党は十五議席(七十議席)、新党さきがけは二議席(十三議席)と大きく後退し、両党は自民党との閣外協力を選択した。

このため、同年十一月七日に発足した第二次橋本内閣は、一九九三年の総選挙で敗北して以来、野党・連立政権の時代を経て三年三ヵ月ぶりで自民党単独政権に復帰した。自信をもった橋本首相は、同年十一月二十九日の臨時国会で、公約の行政改革を膨らませて五大改革を打ち出し、自民党の議席から拍手、野党席から「大風呂敷」というヤジが飛んだ。

首相はその演説のなかで「行政改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障構造改革、財政構造改革の五つの改革を本内閣の最重要課題といたします」と述べ、「行政改革が国民的課題の中心」と確認し、「私は、この国民本位の行政改革を中央省庁の再編を中核として進めてまいります。私自らが会長となる行政改革会議において、二十一世紀における国家機能のあり方、それを踏まえた行政機関の再編のあり方と官邸の機能強化という三つの課題について検討いたします」と約束した。