2013年8月28日水曜日

沖縄経済は公共工事、基地、観光の「3K」で成り立つ

どうもわれわれは、変わらないことが後れていることで、変わることを進歩だと勘違いしているらしい。明治初期の廃仏毀釈で、寺という寺が徹底的に破壊されたときの精神構造とまったく変わらない。たしか昭和三〇年代だった。宮大工をしていた私の父が、昔から懇意にしていたお寺の建物が、次々とコンクリート製に変わっていくのを見てため息をこぼしていたが、先祖から営々と築きあげた伝統が、いとも簡単に壊されていくのを見るに忍びなかったのかもしれない。木造寺院は五〇〇年前も今も変わらないが、コンクリートの寺院はわずか半世紀でみすぼらしさが際だつ。それでもコンクリートに変えることを、進歩と考えるのだろうか。これは日本の街づくりにも共通している。

道路には電柱が串刺しにされ、けばけばしい看板がこれ見よがしに立てられ、欧米の街を模範にしたつもりが、景観も台なしにしてしまうような似て非なる街があらわれた。舞台で使われる書割のような安っぽさだ。沖縄が、文化のかけらもないそんな本土の街になぜ憧れるのだろうか。一八七九年の琉球処分以来、本土から植民地のように扱われてきたために、潜在意識に刷り込まれた劣等感がそうさせるのかもしれない。明治期まで、日本に勝るとも劣らない固有の文化を築きあげた沖縄は、何ら卑下することがないのに、支配層が変わるたびに、政治的に経済的に植民地化されたことが、いつの間にかコンプレックスとなって内在化してしまったのだろうか。

沖縄経済は公共工事、基地、観光の「3K」で成り立つ?「おもろまち」の町並みを批判すると、どこからともなく飛び出すのが、「本土並みになってどこが悪い」という声だ。住民の立場からすれば、それを「違う」と否定するのはむずかしい。しかし冷静に考えてみたい。この先、沖縄が自立していくならどういう産業があるだろうか。まず、沖縄を縛っているのはその地理的条件だ。小さな島で広大な土地が得られない。水やエネルギーがかぎられている等々である。そして最大の問題は、大都市圏の市場から遠く離れていることだろう。土地が狭いから、第一次産業も大規模に展開することはむずかしい。たとえば、黒糖をつくるサトウキビの栽培は沖縄の基幹産業なのだが、これなど補助金(八割が補助金)なしでは成り立たない。

かつて琉球大学の故・真栄城守定先生が、沖縄のサトウキビ産業の売上げと、当時、絶頂期にあった安室奈美恵のレコードの売上げが同じだと言って笑ったが、沖縄の基幹産業と言っても第一次産業はその程度なのである。最近では、島らっきよ、パパイヤ、タンカン、マンゴー、ドラゴンフルーツ、シークワーサー、もずくなどが注目されているが、いずれも産業の主流にはなりえない。そのうえ、一六〇〇キロも離れている大市場の東京に出荷となると、輸送コストが競争力を削いでしまう。また台風が頼りの水だから、水を大量に使う第二次産業はおのずとかぎられてくる。自動車産業などは将来的にも展開する可能性はまずないだろう。可能性があるのは第三次産業だ。なかでも観光がもっとも具体性があり、亜熱帯気候という地理的条件もここでは生きてくる。

観光となれば、景観をないがしろにして成立しない。ちょっと煩わしいが次の数字を見ていただきたい。沖縄県の経済は公共工事、基地、観光の「3K」で成り立っていると言われる。このうち公共工事と基地は補助金頼みだ。補助金については別の章で詳しく述べるが、極端なことを言えば、沖縄がみずから価値を生み出しているのは観光だけなのだ。二〇〇五年度の県内総生産は実質で三兆八一八〇億円だが、このうち農業や漁業の第一次産業は七二一億円と、わずか二%ほどだ。第二次産業は四五三六億円で約二一%。これはおおざっぱに分ければ製造業と建設業になるが、金額では建設業が製造業の二倍弱と圧倒的な比重を占める。