2013年3月30日土曜日

パトローネの中のフィルム

いまは使い捨てカメラにもセピア色に写るものがあるようですが、いわゆるモノクロームと呼ばれる、単色の明暗と濃淡だけで写された写真には、どこかレトロというか、懐かしい感じがつきまとっています。現在では、モノクロフィルムの現像も自動現像装置が幅をきかせていますが、新聞社でも出版社でも、ついこのあいだまでは自分たちでやっていたものです。ここでは、筆者が仕事を始めたばかりの四十年前からやっていた現像手順について書いてみます。

まず、撮影済みのフィルムを持ってフィルム現像専用の暗室に入ります。暗室には35ミリフィルムが一回で十二本現像できるアクリル製の平面タンクがあります。現像液はD‐76、通称ナナロクと呼ばれるもので、これに使われる薬品と調合比率はいまでも変わっていません。当時は薬剤師のようにハカリの上で、現像主薬のメトールと、主薬の酸化を防ぐ無水亜硫酸ナトリウム、同じく主薬のハイドロキノン、それに現像促進剤の鼎砂を、それぞれ2、100、5、2の割合で計り、順番を間違えないように水に溶かします。これを大きなタンクに入れて一週間ほど寝かせたものに、黒くなった古い現像液の上澄みを少し加えて使います。いまから思うと、何やら秘伝のタレをつくっているみたいですね。

現像したフィルムを浸ける定着液は、五種類の薬品を処方通りに水に溶かしてつくります。この順番を間違えるとたちまち白濁し、強烈な硫黄の臭いを発生させます。部長に見つからないようすぐに流しに捨てるのですが、臭いで気づかれ、何発カミナリが落ちたか分かりません。現在は混合された薬品が曜詰になっていて、水に溶くだけですみます。現像液は摂氏二十度ピッタリにします。冬はお湯を入れた薬順で温め、夏は同じ薬順に氷を入れて冷やします。定着液も要領は同じです。暗室の机の上に現像用のリールを並べ、その上にパトローネに入ったフィルムを載せてスタンバイです。

いよいよ現像。電灯を消して部屋を真っ暗にしますが、その前にドアに鍵をかけます。いきなり開ける奴がいないともかぎらないからです。パトローネから出したフィルムを、リールに巻きつけるコツをつかむまでがひと苦労です。明るい場所で、渦巻き状の溝に練習用のフィルムの片側をすべり込ませ、左手でクルクル回しながら入れていくのですが、目をつぶってもできるようになるまで何度でも練習します。正しく巻かないで現像するとフでルムがくっついてしまい、文字どおり一巻の終わりだからです。

パトローネの中のフィルムは、パトローネの軸が出っぱっているほうを机に強く叩きつけ、反対側の蓋を開けて取り出します。ただし、現在、市販されているパトローネは蓋が頑丈にできているので特別の器具が必要です。全部のリールに巻き終わると、一本ずつ静かに現像タンクの中に入れ、現像ムラが出ないよう、二分に一回の割合で三、四回攬挫します。暗室はトータルダークネス、何も見えませんから、すべて手探りの作業です。何本もいっしよに現像するので、うっかり一本でも迷い子になったら大変です。電気はつけられない、他のフィルムはタンクの中で現像が進行中、ようやく指先で探り当てたときの安堵感は、迷子になつたわが子を見つけたときの比ではありません。