2014年7月21日月曜日

ドル・ペッグ制

一般的に「情報の非対称」が存在するために普遍的にセーフティーネット自体がモラルハザードを発生させるのではなく、市場や社会の変化に伴ってセーフティーネットに穴が開いてしまう時、モラルハザードが発生する。そしてセーフティーネットに連結する制度やルールが前提としていた公共性が、市場や社会の変化によって失われたために、その規制体系を悪用することが反モラル的行為とは見なされなくなるのである。

ただ単に規制緩和によって機能不全に陥ったセーフティーネットを外してゆけば、事態が改善するというわけではない。先述したように、とりわけ労働・土地・資本(あるいは貨幣)といった本源的生産要素市場では、セーフティーネットが機能不全に陥った場合、各経済主体が「自己責任」を果たそうとすればするほど、市場は麻庫してしまうからである。必要なのは、市場や社会の変化に応して、セーフティーネットを再構築し、それに連動して制度改革を行うことなのである。

こうして見てくればわかるように、「情報の非対称」という議論は、モラルハザードという現象の根本的要因を説明しえていない。せいぜいのところ、それは静態的な断面の一部しか説明しえていないといってよいだろう。ところで、それまでセーフティーネットとして機能していた制度が、規制緩和政策にとって穴が開いたために逆機能を果たすようになる場合もある。つい最近の事例では、東南アジア諸国の通貨危機に際して、ドルーペッグ制が果たした役割をあげることができるだろう。

通貨危機が起きる以前のアセアン諸国は、自国の通貨価値(為替レート)をドルにリンクさせるドルーペッグ制をとっていた。そうすることによって、アセアン域内の諸国はお互いの通貨価値を間接的に「固定」することができた。つまりタイ対マレーシア、マレーシア対インドネシア、あるいはインドネシア対フィリピンというように、個別の国同士の間で為替レートを調整することなく、すべての国々がドルーペッグ制をとることによって、互いの為替レートの安定的な関係を築くことができたからである。

このドルーペッグ制は、為替リスクの発生を防ぐことによって、貿易取引や資本取引に関する一種のセーフティーネットの役割を果たしていた。為替レートが大きく変動すると、互いの国の企業同士は為替変動のリスクを負うことができなくなり、貿易取引や資本取引を阻害するからである。

2014年7月7日月曜日

「月曜日の夕刻は最も神経を張り詰める時間である。」

週五回の夜のテレビ・ニュースのキャスターをしているものにとって、月曜日の夕刻は最も神経を張り詰める時間である。これから五日、高熱が出ても下痢が止まらなくても出なければならないナマ番組が続く。体調を整え、気力を充実させなければならない。

週末に起きたことを整理しておく必要もある。ことに祭日の月曜日は、国内はもちろん、まだ日曜日が明けていない海外も、ニュース量が極端に薄いという特殊条件がある。

だから他局の夕方のニュースの内容も、自局の夕方のニュースで出た映像も、念入りにチェックしておかなければならない。局入りしてから準備しては遅いのである。家内には、五日間の背広とワイシャツとネクタイのコーディネートを考える作業がある。

そのような時に突然客を連れてきて、めしを振舞え、という神経では話にならない。これから一週間の勤労がはじまるという月曜日の出勤間際のサラリーマンの家に客を連れてきて、すぐ酒の支度をしろ、というようなものである。

うちの息子たちは、幼いころでもこういう日には絶対に友人を遊びに連れてこなかった。家内が厳しくいってきた影響ももちろんあるが、そのくらいの分別は、父親はこのように神経を張り詰めて働いているのだと思えば、幼児にでもつくのである。

その分別がないのが、四人組でありその子供たちである。そして、そのような私の仕事に対する極度の無理解の延長線上に、カネは入るが肩書がない、という母親の放言、肩書すなわち社会的地位がないのにカネが入るのはおかしいのだからタカっても一向に構わない、という母親の論理がくるのである。

こうした神経と、私の息子が、これは親父はテーブルを引っ繰り返すくらい怒るな、とその瞬間に身構えた反射神経との間には、ひとくちに同じ家族といっても天地の開きがあるといわなければなるまい。