2015年1月14日水曜日

社会全般の改革・開放政策

韓国のドラマは日本と中国、そして東南アジアでも「韓流」ブームを起こし、ドラマの主人公はアジアのスターとしての人気を博している。このようにアジアの人びとを夢中にさせる素材である男女の愛は、北朝鮮においてもほとんどすべてのドラマにおいて使われる。ラブストーリーはアジアのすべての人びとの共感を得られるものであり、北朝鮮の人びとも例外ではない。ただ、劇中の主人公たちが自らの愛に没頭する韓国ドラマとは異なり、北朝鮮のドラマの主人公たちは、最高権力者に対する「愛と忠誠心」も見せてくれるのだ。ドラマの次に北朝鮮で人気の番組は、スポーツ競技とのど自慢、教養プログラムや海外についての番組、報道の順となっている。体制と偶像化の宣伝に焦点をあわせて繰り返される番組が人びとの興味を引くことができないのは当然のことである。

宣伝と啓蒙的な性格で何度も繰り返される報道番組も、人民の関心を集めるのは難しい。したがってスポーツ競技番組に対する住民の視聴率が高いのは当然であり、このような事実は韓国の経験から見てもよく理解することができる。資本主義国家における放送では、視聴者が主人である。大部分の商業放送は、広告収入のために視聴率を重要視し、視聴者の関心は死活問題である。そのため、時には放送の公共的役割がそこなわれることもある。それでも、そのような過程を経て、放送の主人は視聴者である市民であると確認されるのである。中国のケースを見ても、改革・開放推進後は放送局が利潤を追求するようになり、政府の統制を外れた「半自律集団」となった。そして広告の登場によって、視聴者たちが番組の死活を決定付ける地位に立つようになった。

これに対し、いまだ朝鮮労働党の下部組織として機能している「朝鮮中央テレビ」は、国民の関心を満たすことができないままだ。最高権力者と体制の宣伝に重きを置く北朝鮮のテレビ放送は、退屈なものとならざるをえない。厳しい財政のために再放送を繰り返し、人民の目をひきつけることができなくなっている。しかし、人民の意識が変化し、体制に対する信頼が損なわれ、テレビの宣伝扇動番組に人びとは目を向けないようになった。このような国民の不満を解消するために、二〇〇四年に北朝鮮のテレビは中国のドラマ「紅楼夢」「水滸伝」「ちびっこ戦士チャンガル」を数カ月間放送するという苦肉の策を試みた。

一九九〇年までは北朝鮮のテレビも人民と呼吸を合わせることが可能だったかもしれないが、数年にわたる過酷な経済危機を経て、南北が交流し中国の生活必需品が市場を席巻する現状では、人民との一体感はかなり損なわれていると思われる。朝鮮中央テレビは一〇年以上の停滞状態が続く中、人民の好みを反映させるのが難しい現実に直面しているのだ。北朝鮮の放送は、表向きでは内閣直属の朝鮮中央放送委員会によって管理されているが、すべての放送手段は党によって統制されている。実質的には朝鮮労働党宣伝扇動部が放送を統制しており、北朝鮮の放送はキムージョンイル政権の体制維持のための宣伝扇動機能を遂行しているのだ。この頃では韓国でも簡単に受信することができる「朝鮮中央テレビ」は衛星中継を通して対内・対外的に活用されている。

社会全般の改革・開放政策による経済的発展を土台として中国の新聞と放送が成長できたことを考えるならば、北朝鮮の新聞と放送の変化を期待するのはまだ早いと判断される。また一九八〇年代後半以降のソ連と東欧社会主義国家の崩壊、国際社会における北朝鮮の孤立、経済危機などを考え合わせると、北朝鮮政権にメディア改革を期待するのは相当に難しい面がある。特に、中国が改革・開放の過程で外国の資本と映像の導入、物的・人的交流を許可したのとはちがって、体制の危機を心配する北朝鮮政権は、まだこのような変化には消極的にしか対応していないということも大きな違いだ。