2015年10月10日土曜日

難民としての保護

一般的にいえば、他の逃走手段がみつからない場合に車を盗んで越境したことだけでは、難民の資格を否定されない。バイシャックの場合、犯行者を航空機所属国に引き渡すか、犯行者を捕捉している着陸国が自ら、その者を裁判にかけるかを、着陸国は選ぶことができる。着陸国が後者を選ぶことによって、航空機所属国による政治的処罰から当人を免れさせ、この者に対して公正な裁判を行ない、公正な処罰を科すことができる。このことは、航空機所属国の処罰を免れても着陸国の裁判を免れることはできない、という制約付きではあるものの、庇護の付与を意味する。

また、条約上の難民定義の運用に話を戻そう。難民条約草案の審議過程において、「十分に理由のある」という限定句が定義規定のなかの文言に、わざわざ付けられたのは、難民であると主張する者がその主張を自ら証明する責任を負うことをはっきりさせておくためだ、といわれている。しかし、実際には、ほとんどの難民は、命からがらで他国にたどりつき、証拠になるようなものを何ももっていない。通常の裁判手続きの場合と同じような立証責任を、難民に負わせることは、無理な話である。

立証責任の大幅な軽減とか、第一次的に一定の部分(例えば、個々の難民に直接かかわっていたとされる事実関係)までは難民に立証責任が負わされるにしても、他の部分(例えば、本国政府による迫害措置の一般的可能性)からは国の側にその責任が転嫁されるとか、さらに、難民の申し立てだけであってもそれにもっともらしさがあるかどうか、経験上判断できるという方法を充実させる、というように、様々な工夫が考えられる。ヨーロッパ各国では、難民認定機関がこの工夫を積み重ねているし、アメリカでは、連邦裁判所が判例を通じて、この点で積極的な姿勢をとっている。ところが、日本の当局、裁判所は、通常の民事事件や刑事事件を扱う場合と同じように、証拠による厳格な審査方法しか認めず、証拠をほとんどもっていない難民資格認定申請者に対してその立証責任を軽減するための取り組みが、大変遅れている。

条約難民であると公的に認められると、難民条約に定められている様々な保護が与えられる。しかも、条約に定められている保護は、最低限のものであって、各国が、それ以上の保護を与えることは、条約上歓迎されている。とりわけ、重要な保護は、難民を迫害のまっている国に追放してはならないし、送還してはならない、というノンールフルマン原則である。この原則は、難民条約以後、各国の国内法や、各国間の「国際司法共助協定」、「犯罪人引渡条約」など、多数の国際条約にも定められるようになり、いまや国際慣習法になっている、とみる考え方も多い。特に注目されるのは、この原則か。難民と公的に認められる前であっても迫害が予想される場合には適用される、と考えられるようになっていることである。

しかし、ノンールフルマン原則にも、重大な限界がある。第一に、条約難民と認められた後でも、当人が入国した国の安全にとって危険であると判断されるだけの相当の理由がある場合と、その国で重大な犯罪を行ないその国の社会にとっても危険な存在となったと判断される場合には、この原則が適用されないこともある(第三二条二項)。ただし、具体的にどのような場合が、ノンールフルマン原則の例外にあたるのか。

この点は、もうひとつ、はっきりしていない。それでもなお、後の国連決議二九六七年の「領域内庇護に関する宣言」)や、国際会議で条約の実現まではいかなかったものの、採択された事項(一九七七年の「領域内庇護条約」案)では、この例外の場合の範囲は、いっそう広く解釈された。国の安全や社会にとって危険な場合だけではなく、人の大量流入の場合にもノンールフルマソ原則に対する例外が許されている。大量難民問題こそ重大であることを思えば、このことは、難民保護制度にとって大きな限界である。