2014年7月7日月曜日

「月曜日の夕刻は最も神経を張り詰める時間である。」

週五回の夜のテレビ・ニュースのキャスターをしているものにとって、月曜日の夕刻は最も神経を張り詰める時間である。これから五日、高熱が出ても下痢が止まらなくても出なければならないナマ番組が続く。体調を整え、気力を充実させなければならない。

週末に起きたことを整理しておく必要もある。ことに祭日の月曜日は、国内はもちろん、まだ日曜日が明けていない海外も、ニュース量が極端に薄いという特殊条件がある。

だから他局の夕方のニュースの内容も、自局の夕方のニュースで出た映像も、念入りにチェックしておかなければならない。局入りしてから準備しては遅いのである。家内には、五日間の背広とワイシャツとネクタイのコーディネートを考える作業がある。

そのような時に突然客を連れてきて、めしを振舞え、という神経では話にならない。これから一週間の勤労がはじまるという月曜日の出勤間際のサラリーマンの家に客を連れてきて、すぐ酒の支度をしろ、というようなものである。

うちの息子たちは、幼いころでもこういう日には絶対に友人を遊びに連れてこなかった。家内が厳しくいってきた影響ももちろんあるが、そのくらいの分別は、父親はこのように神経を張り詰めて働いているのだと思えば、幼児にでもつくのである。

その分別がないのが、四人組でありその子供たちである。そして、そのような私の仕事に対する極度の無理解の延長線上に、カネは入るが肩書がない、という母親の放言、肩書すなわち社会的地位がないのにカネが入るのはおかしいのだからタカっても一向に構わない、という母親の論理がくるのである。

こうした神経と、私の息子が、これは親父はテーブルを引っ繰り返すくらい怒るな、とその瞬間に身構えた反射神経との間には、ひとくちに同じ家族といっても天地の開きがあるといわなければなるまい。