2013年7月4日木曜日

年金から「生年別共済」への切り替えを

他方で成人の生活困窮者ですが、その中にも心身に抱えたハンディキャップで十分には稼げない人と、できることを怠けている人がいろいろなスペクトルで混じっています。手間がかかりますが、彼らに対しては個別のリハビリプログラムを組んで、能力に応じて目標を決め、生活改善・生活保護依存脱却を指導していくことが必要ではないでしょうか。その過程では、目標不達成の懲罰として給付水準を一時的に下げるなどが必要になると思います。また、「そんなことでは、個人が納税したお金は結局生活困窮者の生活支援だけに回るということになる。それでは所得のある人が日本の税金を払わなくなるのではないか」とご心配の方へ。ご心配無用。日本人のほとんどは歳を取れば取るほど外国では暮らせません。

言葉の問題が最大ですが(日本語以外で医者にかかれるだけの外国語会話力のある人は本当に限られていると思います)、水にしても食事にしても気候風土にしても、日本の特殊に恵まれた環 境に慣れ親しんだ人間はとうていこの列島を出て行けるものではありません。出て行ってもいずれ帰りたくなります。それでも出て行ける人は、もちろん出て行くのは自由ですが、この日本語をしゃべれる人間(外国人含む)にとっての天国・日本を終の棲み家にしたい人には、その日本の治安や経済を守るためにそれなりのご負担はいただくということです。そしてそのように日本を選んだ人は、万が一働けなくなっても、動けなくなっても、社会的弱者になった限りは死ぬまで面倒を見てもらえる(絶対的な貧困までには落ち込まないように支えられる)、ということにしなくてはなりません。

二つ目はさらに「暴論性」の高い意見です。ですが、誰がどう努力しても究極的にはこうするしかないであろうという確信は持っています。それは、「お年寄りの面倒を若者から徴収した金銭で見る」という戦後半世紀固守されてきた方式を、今世紀にはあらゆる分野で放棄するしかないという意見です。今後はお年寄りはさらに激増、若者は減少という一方的な流れが続きますから、この方式を墨守していては絶対にお金が回りません。たとえば年金は個人の納付分だけではなく、政府からの毎年の莫大な税金投入によって支えられていますが、これは現役世代の払った税金で今の高齢者の面倒を見るということですので、継続は不可能です。

そもそも富裕な人間も普通に暮らせるだけの財産のある中流層も、年金受給者であれば一律に政府の金銭支援の対象になってきたということ自体がおかしい(継続できればいいのですが資金繰りから考えて不可能)と考えます。年金はある時点で、納入額に一定の利子をつけて各人に払い戻してはいかがでしょうか(その前に誰がどれだけ払い込んだのか特定しなくてはなりませんし、現行の法律のままではそれはムリなのでしょうが)。ただし非常に高齢になってからそのような環境の激変があっても困るでしょうから、戦後の繁栄の中で得をしてきた世代以下、具体的には四〇年生まれ以下とか四五年生まれ以下から、そのような措置をするのが適当かもしれません。

それでは政府は老後の安心の面倒をみないのか。そうではありません。まず申し上げたように、年金を払い込んで来た来ないにかかわらず、生活困窮者には最低限のレベルまでの生活保護を一律に与えるべきです。特に後期高齢者に関しては、いまさら働けと市場経済原理の中に放り込むのは無意味、彼らの過去の人生での怠慢を歳を取ってから罰するというのでは現役を怖がらせることになるだけです。財源も、これまで年金財政に投じてきた資金の一部を回すだけで賄えるのではないでしょうか。ただそれだけですと本当に最低限ですので、加えて年金の代わりになるものとして「生年別共済」を制度化すべきだと考えます。「これを購入する人には、生涯何かあっても生活と  一定水準の医療福祉は政府が死ぬまで保障する。その代わり、幸運にも払い込んだ費用を使わずに健康に亡くなった場合には、残りは払い戻さずに、生まれ年が同じ他の高齢者のために全額使わせてもらう」というものです。