本来、住宅資金貸付は米国のS&L(貯蓄貸付組合)、相互貯蓄銀行、信用組合の専業である。家計の貯蓄性預金を吸収し、これを不動産(土地・家屋)抵当貸付、消費者金融などに運用してきた。
金利激変期には、ことに金利水準が高騰すれば、低利・長期の固定金利型ホーム・ローンを大量にかかえ、比較的高利の貯蓄性預金を積み上げている財務体質は、まずディスインターミディエーション(金利選好気運の上昇から貯蓄性預金の吸収難、はては預金の流出という事態)が広範に起こり、それをカバーしようとして外部の高利の市場性資金に依存することとなる。
また、外部金利に連動する貯蓄預金(一九七八年のMMC導入)を創設して預金流出を食いとめようとすると、原資のコスト高騰を招くこととなる。
こうして七〇年代末期には、S&Lの利益大幅低下、逆ザヤ現象が広く発生し、経営危機が随所にみられるようになる。このように、資産(貸出し)と負債(貯蓄預金)の金利のミスマッチ(非対応)、長期化した低利貸出しと短期化した高利の調達資金の期間的ミスマッチの拡大が進むため、それらの財務体質の改善・収益向上を狙って、これらの金融機関側からモーゲージ・ローン(Mortgage Loan)の証券化が進むこととなった。
すでに米国では不動産担保貸付金債権証書(日本の抵当証券と同種)は法律上、証券と認定され、譲渡可能性ある金融取引対象ではあったが、その専門性のため広範な金融取引物件とはなりえなかった。
一九七〇年に政府系金融機関であるGNMA(ジニー・メイと略称、政府国立抵当金庫)が初めてパススルー証書を発行し、広範な市場性ある担保抵当証書を開発した。
翌七一年、FHLMC(フレディーマックと略称、連邦住宅金融抵当公社)、八一年にはFNMA(ファニイと略称、連邦国立抵当公社)が相ついで、パススル証書を発行した。
これらの政府系機関発行の商品名は一般に、ジニーメイ・パススルー、フレディマックPC、ファニイメイMBS等と
呼ばれ、八六年三月末で合計、三、九二九億ドルの巨額に達している。他方、民間版も七七年にアメリカ銀行を第一号として続々と発行を行なっている。
2014年5月2日金曜日
2014年4月17日木曜日
戦場での運の話
「文学界」の連載の最終回の稿を先日渡して、とにかく、間に合った、と思っている。十八年前に、私流の戦争長篇小説三部作と称するものの執筆を企画し、第二部までは五年間で書いたが、第三部がなかなか書けなくて、第二部のあと十三年目にやっと終えたという次第である。間に合った、というのは、書けないうちに死ぬかもしれぬと思っていたからである。
この第三部は「フーコン戦記」という題で、北ビルマで悲惨な戦いを続けた北九州の部隊の話を書いた小説で、一昨年から二十二年間にわたって連載した。私には、精励努力などという殊勝なものはなく、なにか、運のままに流されているうちに、なんとか食えるだけは食えるようになった。幸運である。戦場から生還できたのも幸である。といって、そういった幸運をいちいち感謝しながら生きているわけではないが、戦争を扱った小説を書き、自分の経験した戦場を思い出すにつけ、とても人間にはどうしようもない運というものを考えさせられる。
戦場での運の話をしだすときりがなくなるが、ひとつ、いまだにふと思い出す追憶がある。私か経験した戦場は、中国雲南省の龍陵というところで。私の所属する仙台の師団は、包囲されて苦戦している龍陵守備隊を救出すべく、南ビルマから馳せ参じた。そのおり、私はトレードに出された。ブロ野球なら、私は自由契約選手になったところだが、軍隊では、私がいかに劣等の下級兵士でもそれはない。だから分隊長同士話し合って、第二分隊の私にタバコを二つつけることで、第一分隊の一等兵とのトレードが成立したのである。
私は第二分隊の壕から追い出され、第一分隊の壕に移った。その夜、迫撃砲弾の破片が、第二分隊の壕に移った一等兵のカカトを砕いたのである。私か東北の師団に召集されたのも運、あの分隊長との出会いも運、劣等であったのも運、あの日トレードに出されたのも、私にとっても一等兵にとっても運。T君は、まだ健在だろうか。だとしても、足をひきずっているのではないか。
この第三部は「フーコン戦記」という題で、北ビルマで悲惨な戦いを続けた北九州の部隊の話を書いた小説で、一昨年から二十二年間にわたって連載した。私には、精励努力などという殊勝なものはなく、なにか、運のままに流されているうちに、なんとか食えるだけは食えるようになった。幸運である。戦場から生還できたのも幸である。といって、そういった幸運をいちいち感謝しながら生きているわけではないが、戦争を扱った小説を書き、自分の経験した戦場を思い出すにつけ、とても人間にはどうしようもない運というものを考えさせられる。
戦場での運の話をしだすときりがなくなるが、ひとつ、いまだにふと思い出す追憶がある。私か経験した戦場は、中国雲南省の龍陵というところで。私の所属する仙台の師団は、包囲されて苦戦している龍陵守備隊を救出すべく、南ビルマから馳せ参じた。そのおり、私はトレードに出された。ブロ野球なら、私は自由契約選手になったところだが、軍隊では、私がいかに劣等の下級兵士でもそれはない。だから分隊長同士話し合って、第二分隊の私にタバコを二つつけることで、第一分隊の一等兵とのトレードが成立したのである。
私は第二分隊の壕から追い出され、第一分隊の壕に移った。その夜、迫撃砲弾の破片が、第二分隊の壕に移った一等兵のカカトを砕いたのである。私か東北の師団に召集されたのも運、あの分隊長との出会いも運、劣等であったのも運、あの日トレードに出されたのも、私にとっても一等兵にとっても運。T君は、まだ健在だろうか。だとしても、足をひきずっているのではないか。
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