いまは使い捨てカメラにもセピア色に写るものがあるようですが、いわゆるモノクロームと呼ばれる、単色の明暗と濃淡だけで写された写真には、どこかレトロというか、懐かしい感じがつきまとっています。現在では、モノクロフィルムの現像も自動現像装置が幅をきかせていますが、新聞社でも出版社でも、ついこのあいだまでは自分たちでやっていたものです。ここでは、筆者が仕事を始めたばかりの四十年前からやっていた現像手順について書いてみます。
まず、撮影済みのフィルムを持ってフィルム現像専用の暗室に入ります。暗室には35ミリフィルムが一回で十二本現像できるアクリル製の平面タンクがあります。現像液はD‐76、通称ナナロクと呼ばれるもので、これに使われる薬品と調合比率はいまでも変わっていません。当時は薬剤師のようにハカリの上で、現像主薬のメトールと、主薬の酸化を防ぐ無水亜硫酸ナトリウム、同じく主薬のハイドロキノン、それに現像促進剤の鼎砂を、それぞれ2、100、5、2の割合で計り、順番を間違えないように水に溶かします。これを大きなタンクに入れて一週間ほど寝かせたものに、黒くなった古い現像液の上澄みを少し加えて使います。いまから思うと、何やら秘伝のタレをつくっているみたいですね。
現像したフィルムを浸ける定着液は、五種類の薬品を処方通りに水に溶かしてつくります。この順番を間違えるとたちまち白濁し、強烈な硫黄の臭いを発生させます。部長に見つからないようすぐに流しに捨てるのですが、臭いで気づかれ、何発カミナリが落ちたか分かりません。現在は混合された薬品が曜詰になっていて、水に溶くだけですみます。現像液は摂氏二十度ピッタリにします。冬はお湯を入れた薬順で温め、夏は同じ薬順に氷を入れて冷やします。定着液も要領は同じです。暗室の机の上に現像用のリールを並べ、その上にパトローネに入ったフィルムを載せてスタンバイです。
いよいよ現像。電灯を消して部屋を真っ暗にしますが、その前にドアに鍵をかけます。いきなり開ける奴がいないともかぎらないからです。パトローネから出したフィルムを、リールに巻きつけるコツをつかむまでがひと苦労です。明るい場所で、渦巻き状の溝に練習用のフィルムの片側をすべり込ませ、左手でクルクル回しながら入れていくのですが、目をつぶってもできるようになるまで何度でも練習します。正しく巻かないで現像するとフでルムがくっついてしまい、文字どおり一巻の終わりだからです。
パトローネの中のフィルムは、パトローネの軸が出っぱっているほうを机に強く叩きつけ、反対側の蓋を開けて取り出します。ただし、現在、市販されているパトローネは蓋が頑丈にできているので特別の器具が必要です。全部のリールに巻き終わると、一本ずつ静かに現像タンクの中に入れ、現像ムラが出ないよう、二分に一回の割合で三、四回攬挫します。暗室はトータルダークネス、何も見えませんから、すべて手探りの作業です。何本もいっしよに現像するので、うっかり一本でも迷い子になったら大変です。電気はつけられない、他のフィルムはタンクの中で現像が進行中、ようやく指先で探り当てたときの安堵感は、迷子になつたわが子を見つけたときの比ではありません。
2013年3月30日土曜日
2012年12月25日火曜日
「性」に対する考え方への影響
当時世界の覇者たるイギリスは産業革命をなしとげ、続くビクトリア朝時代(一八三七~一九〇一年)には、のちに「ビクトリアンーウーマン」と呼ばれる、典型的な近代型性差別役割分業観による女性像を作り上げていた。すなわち、中流以上の女性は働くことを恥じ、結婚して夫に慎ましくつかえ、子どもに生きがいを見出す生き方こそ、女の幸せの理想像と考えられるようになったのである。
甲斐性のない貧しい男と結婚した女性は、賃金労働者として戸外で働かねばならず、日焼けや肌あれ、手あれなどは、生活力のある男に求婚されなかった(女性的魅力に欠ける)女性に課せられた、不幸な運命の象徴とされた。何よりも生活力があり、ふところの豊かな男が、男らしい男性とされ、そういう男に選んでもらえる「いい女」の条件をそなえようと女性たちはやっきになった。
コルセットによってひどく細めたウエスト(なよやかさを強調)、反対に骨入りペチコートで、ヒップを大きく強調したスカート(出産能力の誇示)、ひたすら貞淑に夫たちにつかえ、ヒステリックな声やどなり声などはタブーであった。「不満」には、卒倒や気絶という表現しか許されていなかった(スティーヴンーカーン著、喜多迅鷹他訳『肉体の文化史』法政大学出版局などにくわしい)。
それらは一七世紀後半から芽生え、一八世紀前半に本格化した「動物の発生」についての議論が、重要な影響を与えていると思われる。顕微鏡の発達や生理学的発生理論の体系化などから、精子と卵子二八二八年、ベアによる哺乳類の卵発見)の性質や受胎における状況などがわかり始めた。精子は男性より出で、女性の体内で活発に動きまわり、他の精子と競争して卵子を獲得するもの、卵子は女性の身体の中でほとんど動かず、静かにじっと精子を待っていて精子に獲得されるものという、あらかたわかった図式は、そのまま短絡的にその持ち主たちに適用された。男性は精子と同様、活発で闘争的で積極的性質を持ち、女性は卵子と同様、静的で受動的で忍耐強い性質を持つもの、いや持つべきものと解釈され、これが男女の「らしさ」へと適用されたのである。
そのうえ、今日では信じられないが、当時ヨーロッパでは、ダーウィンの進化論に強く影響を受けたヘッケルが「個体発生は系統発生をくりかえす」という「反復説」を唱え、それが広く受け入れられていたことも、当時の女性観の形成に深く関係していたと思われる。つまり、近代人は原始の人々より優秀(進化しているから)であるという論法のもと、「成人女性の頭骨は成人男性の頭骨より子どもの頭骨に似ているという形態学上の事実」と「子どもは生ける原始人であるから成人女性もそうにちがいない」(スティーブン・TJ・グールド著『系統発生と個体発生』工作舎)という推論は、女性は男性より劣った存在であることの根拠となった。
日本における性はかくすべきものという現代の考え方は、明治の西欧化政策以来のものである。肌身は人目にさらすべきではなくなり、上半身裸をさらし、片肌ぬいで労働するのが当たり前であった男性たちは、夏でも着物の袖に手を通さねばならなくなり、ゆるくまといつけて、乳房がみえかくれしていた女性の身体も、きっちり着物の衿もとを合わせ、胸高にかびがしめられるようになった。もちろん混浴も禁止された。
甲斐性のない貧しい男と結婚した女性は、賃金労働者として戸外で働かねばならず、日焼けや肌あれ、手あれなどは、生活力のある男に求婚されなかった(女性的魅力に欠ける)女性に課せられた、不幸な運命の象徴とされた。何よりも生活力があり、ふところの豊かな男が、男らしい男性とされ、そういう男に選んでもらえる「いい女」の条件をそなえようと女性たちはやっきになった。
コルセットによってひどく細めたウエスト(なよやかさを強調)、反対に骨入りペチコートで、ヒップを大きく強調したスカート(出産能力の誇示)、ひたすら貞淑に夫たちにつかえ、ヒステリックな声やどなり声などはタブーであった。「不満」には、卒倒や気絶という表現しか許されていなかった(スティーヴンーカーン著、喜多迅鷹他訳『肉体の文化史』法政大学出版局などにくわしい)。
それらは一七世紀後半から芽生え、一八世紀前半に本格化した「動物の発生」についての議論が、重要な影響を与えていると思われる。顕微鏡の発達や生理学的発生理論の体系化などから、精子と卵子二八二八年、ベアによる哺乳類の卵発見)の性質や受胎における状況などがわかり始めた。精子は男性より出で、女性の体内で活発に動きまわり、他の精子と競争して卵子を獲得するもの、卵子は女性の身体の中でほとんど動かず、静かにじっと精子を待っていて精子に獲得されるものという、あらかたわかった図式は、そのまま短絡的にその持ち主たちに適用された。男性は精子と同様、活発で闘争的で積極的性質を持ち、女性は卵子と同様、静的で受動的で忍耐強い性質を持つもの、いや持つべきものと解釈され、これが男女の「らしさ」へと適用されたのである。
そのうえ、今日では信じられないが、当時ヨーロッパでは、ダーウィンの進化論に強く影響を受けたヘッケルが「個体発生は系統発生をくりかえす」という「反復説」を唱え、それが広く受け入れられていたことも、当時の女性観の形成に深く関係していたと思われる。つまり、近代人は原始の人々より優秀(進化しているから)であるという論法のもと、「成人女性の頭骨は成人男性の頭骨より子どもの頭骨に似ているという形態学上の事実」と「子どもは生ける原始人であるから成人女性もそうにちがいない」(スティーブン・TJ・グールド著『系統発生と個体発生』工作舎)という推論は、女性は男性より劣った存在であることの根拠となった。
日本における性はかくすべきものという現代の考え方は、明治の西欧化政策以来のものである。肌身は人目にさらすべきではなくなり、上半身裸をさらし、片肌ぬいで労働するのが当たり前であった男性たちは、夏でも着物の袖に手を通さねばならなくなり、ゆるくまといつけて、乳房がみえかくれしていた女性の身体も、きっちり着物の衿もとを合わせ、胸高にかびがしめられるようになった。もちろん混浴も禁止された。
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